薄暮から黎明
月草紫苑、月花花月の個人サイトです。
エッセイらしきもの (病気、いじめ)
私→二次元オタク、現在通信JK、ベーチェット病・アスペルガー症候群・全般性不安障害持ち、中学私学

 私には、抱えている病気が幾つかあって、発達障害も持っている。
病気に関しては、ドラマとか小説みたいに当然倒れて病気が分かったとか、命にかかわる病気や外見に出るような病気とかそんな印象的な病気じゃなかったけど、小学校の6年の四分の1は学校休んでたし、中学校入ってからも、やっぱり治ったってこともなく結構な頻度で休んでた。
それに、私は元々、喘息やアレルギーを持ってたし、風邪とかインフルエンザも掛かりやすくて幼稚園は1ヶ月行けないとか言うことがザラにあった。でも、小学校入ってからは段々病気に掛かりにくくなっていき、アレルギーも無くなった。
 小学校2年、私は言語の通級に通うことになった。
元々、言葉がはっきりと話せず、きちんと発音したつもりでも違う音で発音していたことでよく、からかわれていた。それでも、授業が楽しく、先生が大好きだったから大丈夫だった。
それに、先生がからかわれていたことを気にして、いろいろなことを教えてくれていたから、これさえ治ればからかわれ無いと思ってた。
小学校3年になって、だいぶ発音が治ってきたころ、今度は、会話が噛み合わないことが多かったことや集団行動が苦手で、学びの通級に通った。結局、小学校5年間通級に通ってた。
この頃から、学校がつらくなり始めた、からかうだけだったことから、だんだん悪口や暴力、仲間外れ、掃除の押し付け、悪いことをしたときの責任転化になっていった。
幸いにも暴力は、たまにだけで先生は中立だった。悪口はまだ耐えられた、本の世界に入ったら周りの音が聞こえなくなるから先生が居なくて私が本を読んでない時しか言わないし、悪口も典型的なものばっかりだったからだ。
暴力もクラスで空手の有段者の子が暴力の時だけは庇ってくれていた。
責任転化も先生が中立で論理的だったから、理由、やってない証拠をきちんと聞いて判断するから大丈夫だった。
だから一番堪えたのは仲間外れと掃除の押し付けだった。 
掃除の押し付けはクラス全員の机を1人で片付け(全員でやるもの)、同じ当番全員の分をやらないといけなかった。
一番ひどかった時は特別教室を1人ですべて掃除して、終わったら何かと理由をつけて雑巾掛けを増やして終わらなくさせられた、掃除の時間が終わったら私だけ特別教室に残し、掃除しといて掃除が終わったら鍵を開けるといい、特別教室の鍵を締めて教室に戻って行った。
この時は、授業が始まっても終わらなくて授業にでてないことを疑問に思った先生が泣きながら雑巾掛けしてる私を発見して終わった。これをやってた子は謝るように言われ、嫌々ながら謝り、私が許さないと先生がもう許すようにと言いくるめた。この事は今でもトラウマで夢に出てきたり、フラッシュバックする。
小学校4年でこの事から私は中学受験をする事を決めた、もうここの子たちと同じ学校に行きたくなかった。そして小学校5年で塾に入った。この頃から、私は二次元に嵌まっていった、そしてそのことから親友が出来た。
小学校6年最後の運動会、私は応援団にやっとなれた。だけど、本番の後半から少しずつ具合が悪くなっていき、終わった後の片付けのときには既に座ることすらつらくなっていた。
次の日から、私は高熱を出して暫く学校を休んだ。
最初は、運動会で疲れて風邪に掛かったと思っていた。病院に行って風邪薬を貰って、熱が下がったので治ったと思い、学校に登校した。その後暫くは熱は無かったが、暫くすると口内炎が出来始めた。
それでも、後少しで卒業で親友たちとも会えなくなると考えると無理にでも学校に行ったし、遊びにも行った。
ある日、体育でペアを組んだ子から、青白い顔をしていると言われその日は早退した。
その頃には既に痛みで固形物は食べれなく、バナナジュースなどのジュースで食事をしていた。
流石になんかおかしいと思い、以前から通っている近所の内科にかかった、なんの病気か分からないのでその日は血液検査だけして、帰った。
数日後、血液検査の結果を見て医者は驚いた
炎症の数値がもの凄く高かったのだ。
すぐさま近くにある大きな病院の紹介状を渡して「このあと、すぐ行って下さい。」と言われた。
幸いにも車で20分位の距離だったので午後一番の診察に間に合った、ここでもまた血液検査をし、口内炎の所の細胞をとって検査をした。
これまで食事がとれなかったと言うと栄養剤の点滴をする事になった。
その日は点滴をして、口内炎の薬を貰って帰った。
一週間後、検査結果を聞くためにまた病院に行った。検査結果を開き、目を通すと医師は一言「いますぐ入院です。」といった。
余りにもナチュラルにあっさりと言いきったので、私は暫く固まった。本当に固まることがあるのにびっくりした。
その後、人生初の入院となった。
私は高熱で余り覚えていない入院だった。
初めての入院生活の隣の子は近所にすんでいる子で幼児だった。隣の子の母親は母が学校との連絡などで来れない日や面会時間後に話相手になってくれる優しい人で面白い人だった。
病気が分からないため検査三昧の日々を送っていた。
たぶん健康ではお目にかからない検査も色々やった。
CT、MRI、血液検査、心電図、血管造影、エコー、覚えているのはそれくらいだ。
血液検査では結局医師が血液を入れる試験管を指の間に挟み込んで採血をして、結果の炎症の数値が四桁で驚いていたのは覚えていた。
入院中、意識が朦朧とするほどの高熱や関節痛が起きていたが病気がわからなかったため、薬は使えなかった。
更に、病院食は口内炎のためミキサーにかけられていた。それでも、小匙で二口位しか食べれなかった。
そんな中、親友がお見舞いにきてくれた、でも感染防止のため病棟にすらはいれなかったため、会えなかった、友人たちはクラスのみんなからの千羽鶴を持ってきてくれていた。
その夜、クラス全員が千羽鶴を作るとは思ってなかったが確認したらクラス全員だった、そして鶴の一つ一つにメッセージが書いてあった。 
その頃は心臓付近の病気の疑いで車椅子生活だったのでベッドの上から動けなかった。
そんな中届けでくれたクラス全員が作り、メッセージを込めた千羽鶴、貰った夜は初めて病棟で泣いた。不安や寂しさが嬉しさで押し流されていった。隣の子の母親はそんな私を心配して、暫くそばで寄り添ってくれていた。
その後、私は転院することになった。お別れだと思うと寂しくなった。
転院先の病院では保育士がいて話相手になってくれたり、前の病院よりフレンドリーな子が多かった。
暫くするとあのときの子が転院してきた。
お互いにびっくりすると、元々はここにいたらしくこの病院について教えてくれた。

とうとう私の病気が分かったようだ。
医師から告げられた病名は「ベーチェット病」
と言う病名だった。この病気は自分自身で自分を攻撃してしまう病気で治ることは無いと言われた。
そして治療が始まった、薬はプレドニンというステロイド剤でもの凄く苦かった。
暫く飲んでいるうちに炎症の数値がさがってきた。副作用で物凄くお腹が空くが糖尿病や腎臓病になりやすいため食べれなかった。
だんだん量を減らしていき、ある程度減ったら退院した。
その後、中学校の受験をし、中学に入学した。
入学してからが大変だった、悪化して入院したり、休んだりしているうちに授業に追いつけなくなった、そして、出席日数が厳しくなっていった。
私はだんだんつらくなっていった。
中学三年生のある日、ついに心が折れた。
その時の症状が不眠、鬱、自殺願望、パニック、フラッシュバック、幻聴、強い不安、対人恐怖と段々酷くなっていった。
それでも学校は精神科にかかりながら、通っていた。
それからは、急に悪化していった。
不眠で1日一時間も寝れず、人が怖くなり、感情のコントロールがきかず、気がついたら自殺しようとカッターを手首に当てていたり、ロープを用意したり、飛び降りようとしていたこともあった。
そしてついに、精神科の病棟に入院が決まった。
そこから2週間はベッドから怖くて出れなかった、段々と薬がきいたのか良くなってくると、外にも出れるようになった。その時点の薬は睡眠薬、ステロイド剤、免疫抑制剤、胃腸薬、精神安定剤、鎮痛剤、抗うつ剤だった。
そして、私は学校をやめることにした。

ある日の深夜、記憶にはあまり無いが後から聞いた話によると、頭を壁に激しく打ちつけはじめた、医師が来てその後保護室に入った。
この事は、私にとって夢の中の出来事だとずっと思っていた、なぜなら痛みが全くなかったからだ。
その後、睡眠薬のせいと分かり、睡眠薬が変わった。
一次帰宅の際、入院計画書がチラッと見え、そこには「アスペルガー症」「全般性不安障害」と書かれていた。
気になり、母に聞くとびっくりした様子で、落ち着いて聞いてと言い真剣な表情で話し始めた、アスペルガー症は小学校のときには既に診断されていたようでずっと黙っていたらしい。
そのときは騙されたとか、病気なのとか、障害なのとか言うマイナスよりあぁっていうほっとした気持ちの方が大きかった。
どこか他の人と決定的に違うのが、普通を演じるのが、病気だからって分かったからだ。

一次帰宅が終わり、病棟に戻ると医師から病気について説明があった。アスペルガーは一生付き合うもので上手に付き合わないといけないこと、全般性不安障害は焦らずにゆっくりと治すこと、精神障害者保健福祉手帳三級を取ることになること、いろんなことを丁寧に分かるまで教えてくれた。

ある程度まで病状が落ち着くと、入試があるので退院した。

そして、今高校一年生として、通信制の高校に通っている。
学校はいろんな人がいて、障害や持病を持っているも多く、先生達もそのことに関してはよく教え方を知っていた。
まだ、フラッシュバックや強い不安、不眠症は直ってないけど、別に私は病気になったことは恨んでない、病気のせいで学校をやめたとも思って無い、だって病気だったから知れたこと、友人になったことが沢山あったから、それに病気は個性だと今は思ってるから、だって二次元のキャラみたいでいいでしょ。
まぁ、病気の症状のグチくらいは良く言うけどね。
濃いキャラですが、そんな感じで今日も私は病気を抱えて楽しく生きてます。
2017、11、08 月草紫苑
pixiv、小説家になろうにも転載
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コメント
コメント
はじめまして!
同じく黒い砂漠をやっているなすと申します。
お辛かったことでしょう・・・私も幼少期とても病弱で学校や幼稚園にいけなかったのでお気持ちが分かります。
よかったら仲良くしてくださいね!
2017/11/30 (木) 10:20:34 | URL | なす #yYmAK8DQ[ 編集 ]
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